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広瀬真咲 / 生態学 Biology of Masaki Hirose

Masaki Hirose Web

 
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セキネマーロウインタビュー「謀み、とか、策略、に近いもの」

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撮影:近藤誠 photo by Makoto Kondo /NIPAF AISA 2009

パフォーマンス・アーティスト セキネマーロウインタビュー
インタビューシリーズⅢ
インタビュワー:広瀬真咲

私(広瀬)はパフォーマンス・アート※1という、説明が難しい現代アートの分野に取り組んで、
16,7年程になる。セキネさんのパフォーマンスを初めて見たのは、今はなき明大前の
キッドアイラックであった。バケツにおはじきをぽっちゃんと落とし、
手を1回叩いて詩のようなものを朗読する。彼の代表作である。(上写真掲載)
言葉数は少ないが、存在感のあるアーティスト、セキネマーロウさんへ
今回インタビューを試みます。

主に小劇場やライブハウス、イベント等で活動する人たちがいる。
私もおよそそのようなアンダーグラウンドを渡り歩いている者だが、
長年この業界にいると、ある程度名の通ったアーティスト達と出会う。
彼らは自分の記録をあまり公に残すことをしない。
そんな人々にスポットを当てたインタビューシリーズの第三回です。
過去インタビューはこちら

(以下太字広瀬の質問)
*以下パフォーマンス・アートをパフォーマンスと略称します。
*セキネは「セキネマーロウ」か「関根麻郎」の名前で活動してます。
*敬称略

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撮影:近藤誠 photo by Makoto Kondo /NIPAF AISA 2009

1.セキネさんがパフォーマンスをはじめたのはいつ頃ですか?
また、そのきっかけをお聞かせください。
その後、現在に至るまでのパフォーマンス履歴を簡単に教えて下さい。


(セキネ)
若い頃からやっているわけではありません。
始めたのは確か2006年、すでに44歳だったと思います。
きっかけは、その前年、若手の現代美術作家10人くらいを取り上げた
館林美術館の『夏の蜃気楼展』という企画展で、
犬飼美也妃(※2)さんという作家の展示を見たことです。

その展示は作家が〈吸って吐いて〉というテーマでパフォーマンスを行った時の写真や、
パフォーマンスの結果できる痕跡などで構成されたものでした。
展示写真の中に、たぶん外国でのパフォーマンスだと思いますが、
作家がフーっと息を吐いている隣りで、見に来た人(だと思う)が
一緒に同じように息を吐いているものがあって、何だろうこれは、分からないけど凄いなあ、
と思った記憶があります。会期中、作家がパフォーマンスをやる日はすでに過ぎていましたが、
ワークショップをやる日があったので、後日、参加しました。

参加者は数名でしたが、お子さんからお年寄りまで、リラックスした雰囲気のワークショップでした。
最後は、一人ずつ数分間、美術館内(敷地内)のお気に入りの場所でやりたいことをやる
(とりたいポーズをとる、だったかも)、という課題が出されました。
しばらくして犬飼さんから、パフォーマンス・アートのイベント(NIPAF※3)のお知らせをもらい見に行きました。
日本人ばかりでなく外国の人も出ていました。よくわからないパフォーマンスもたくさんありましたが、
なぜだか感動したパフォーマンスもありました。


パンの耳3-600
「パンの耳」でのパフォーマンス

それまで絵を描きながら演劇や映画などにも興味を持っていましたが、
パフォーマンス・アートはどちらの要素も持っているように思えたことや、
感動した作品が技術の有る無しで成り立っているわけでなかったこと、
また同時に出演者があまりにも無防備に見えたこと、などに強く惹かれたような気がします。
自作自演ということをやってみたかった気もします。
見に行っているうちに機会を得て、別のイベントで初パフォーマンスをやらせてもらい、
その後、見に行っていたイベントにも何度か出演させてもらいました。
ツアーに参加させてもらい中国へも行きました。

それからは時々、機会があれば自作のパフォーマンスをやったり、グループでの活動に誘ってもらったり
他の人の作品、公演に出たりしていました。あまり人前でやれていない時期もありましたが、
ジャズのライブなどを時々見に行っていたお店で、何かやりませんか、と声を掛けていただき、
2018年から私の主催によるパフォーマンスのイベントを不定期でやれるようになりました。
最近の出来事としては、私のパフォーマンスを見た映画監督の小谷忠典さんが、
その内容を膨らませて、『パンの耳』という演劇作品にして上演してくれました。
出演させてもらっただけでなく、併せてパフォーマンスもやらせてもらいました。


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2. セキネさんはドローイングも描かれますよね。
以前、工業高校出身で、セツ・モード(※4)の専門学校に行って、
絵画をやっていたと少しお聞きしたことがあります。
最近は楽器も演奏されていますが、
昔から、何かものを作ったり、表現したりすることが好きだったのでしょうか。
絵や音楽、それ以外も含め、パフォーマンスを始める前の、創作履歴をお伺いしたいです。


(セキネ)
父は木版画を、母は油絵を、仕事をしながらやっていました。
そのため小さな頃はよく美術館に連れて行かれましたが、
あまり面白くなくて、すぐ飽きてしまって、私はその頃から反撥していたのか30歳くらいまで、
興味はありましたが美術をやろうとは思いませんでした。

工業高校の機械科を出て、就職して自動車メーカーの工場で1年ちょっと働いて辞めました。
夜間の文学部に合格したので、翌春から昼間はいろいろとアルバイトをしつつ夜は大学へ行きました。
バンドをやりたいような人たちが集まった音楽のサークルで、
メンバー不足だというジャズのグループに入りました。楽器ができなくても歓迎してくれました。
ジャズよりもブルースとかリズム&ブルースとかソウルミュージックとかを好んで聴いていました。
部室に使っていないトランペットがあったので5年くらいやりましたが、あまり上手くなりませんでした。



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パフォーマンス・アートのイベント「今は静かに」(※5)でのパフォーマンス。
Art& Jazz M's(国分寺)2023年


30年くらいのブランクを経て、今はパフォーマンスの時にたまに音を出したりもしています。
文学部なのに碌に本も読んでいないダメな学生でしたが、5年通ったところで卒業できてしまったので、
コピーライティングの講座に通った後、販促物などを制作している会社の社員になりました。
転社などもしつつ、4~5年、カタログやパンフレットやチラシなどの文字原稿をつくっていましたが、
向いていない気がして辞めました。

デザイン学校のグラフィックの夜間部に入ろうと思ったのですが、試験があって落ちました。
セツ・モードセミナーという私塾みたいな学校が半年に一度生徒を募集していました。
入試は無く、くじ引きでした。ラッキーなことに、かなりの倍率のくじ引きを一発で通過しました。
入学してから知りましたが「入学試験なんかやったって、その人の才能がわかるわけないだろう」
というのが先生の考えでした。やはり夜に通って、クロッキーや水彩画を描きました。
5年くらい通ったところで先生は自転車での転倒事故がもとで亡くなりました。
先生が亡くなる前に、セツゲリラ、という同人に半年だけ加えてもらいました。
先生が亡くなった後もセツへは5年くらい通っていました。


絵(陽の行方)2-300
“日の行方” ドローイング/セキネマーロウ


個展は銀座の貸しギャラリーで2度ほどやりました。かなりサボってしまいましたが、
また絵を描きたいとは思っています。写真を撮ることや文章を書くことも好きでしたが、
どちらも特には発表はしていません。その後、時々ですが、学生さんがつくる映画に出たり、
パフォーマンス・アートのイベントに出たり、小劇場系の演劇に出たり、
ということを、それぞれにきっかけや誘ってくれる人があって、始めました。


パンの耳300
2022年小谷忠典監督の「パンの耳」主演:伊藤洋三郎、関根麻郎、現代座にて公演。



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3.パフォーマンス・アートって何でしょうか?
このインタビュー企画の趣旨の一つなのですが、
パフォーマンス・アートの定義って、言葉で説明するのは難しいと思うんです。
私は、頭とか、言葉だけで理解しようとするよりは、「実際に見てみてください。」と答えています。
その方がいいと私は思っています。
一般的に、現代美術の一つの分野であると言われていますが、行為芸術と呼ばれていたり、
詩の直接表現だと言う人もいます。

平凡な言い方になってしまいますが、筆を手にもって、キャンバスに絵を描けば絵画じゃないですか。
でもパフォーマンス・アートにはそうしたフォーマットがないんです。
基本的には何やっても自由ですよね。
自分はこれがパフォーマンスです、と言ったら、もうそれが作品になる。
でもあえて、初めて見る人に説明するとしたら.....パフォーマンス・アートって何ですか?



(セキネ)
パフォーマンス・アートとは「パフォーマンスによる現代アート作品」ということでどうでしょうか。
何かそのまんまですが(笑) 。
作家本人が(あるいは作家の指示を受けた人が)何かを行なうもの、
何か行いを提示するものなので、「行為」とか「身体」という方向へ、
つまり「パフォーマンス」という方向へ意識が引っ張られると思いますが、
「パフォーマンス・アート」と言った場合は、パフォーマンス作品ではあるけれど、
それ以前に、現代アートの作品である、ということで見てもらえば、
多少は取っ掛かりができるのかな、とも思います。

ですから、パフォーマンス・アートって何だろう、という以前に、
現代アートって何だろう、ということになるのかなと思いますし、
もちろん実際に見てもらうしかないとは思いますが、
内容もレベルも様々だし、実際に見てもらっても、何だか分からないぞ? これで作品なのか?
これのどこがアートなんだ? ということになる場合も多いような気もします。
私自身、見ていてよくあることですし、私自身のパフォーマンスにも言えることかなとも思います。


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路上アートイベントでのセキネのパフォーマンス「人生50メートル」
「絶景かな絶景かな」郊外篇(路上アート研究会主催)吉祥寺 / 撮影:関谷泉


ご質問の中に、パフォーマンス・アートは「フォーマットがない」
「基本的には何やっても自由」「作家が作品だと言えばそれが作品になる」とありますが、
これはそのまま現代アートの説明になるのかなとも思います。
そしてそこに「作品には何かしらの考え、コンセプトがある」
ということを加えていいのではないかと思います。
パフォーマンスを現代アートの作品として成立させるものは、
作家の考え、コンセプトということになると思いますし、
また作品を見て感じて楽しむと同時に、考えて楽しむのが現代アートである、とはよく言われることですし。

とは言っても、考えることやコンセプト云々よりも、
ともかく人前で何かやりたいという気持ちが優先している人や、
思い付いたままにやっている人もいると思います。

私は自分のパフォーマンスが、アートでなくてはならない、とかあまり考えないので、
そのせいか、それほど強くコンセプトは意識していませんが、
やはり、何かしらの考え無しには作品にならない、という感覚はあります。

つまり、たとえば普通に絵を描く時だって頭は働かせますが、
無心になって、ひたすら良い作品を描きたいという気持ちで制作に打ち込むこともできると思います。
それに対してパフォーマンス・アート、ひいては現代アートは、無心ではつくれない、
というか、やはりいろいろ考えを巡らさねばならず、作品の内容にもよるとは思いますが、
心を無にして作品づくりに没頭することはなかなか難しい気がします。
こういう言い方は誤解を生むかもしれませんが、謀み、とか、策略、
に近いものも含んだジャンルであると思いますので、そこらへん、
疑わしさや怪しさも併せ持っている気もしますし、「そこが面白いのだ」という人もいれば、
「美術は好きですが、現代アート(あるいはパフォーマンス・アート)はちょっと・・・」
と言う人がいるのもよく分かります。


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4.セキネさんは、少し前は、水を張ったバケツにおはじきを落として、
ポチャンと音が鳴ったら手をパンと叩いて詩のようなセンテンスを詠む、
というパフォーマンスを、毎回行っていたのが印象的です。
同じ作品をずっと長いこと繰り返してやっていたのは、
よほど何か思い入れがあったのでしょうか。



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撮影:近藤誠 photo by Makoto Kondo /NIPAF AISA 2009


(セキネ)
同じことをやるのは、その行為が気に入っているからということもあるし、
なかなか同じレベルの別の新しいアイデアが出て来ないから、
ということでもあります。あるいはまだ作品が未完成な気がして、
改良しつつ、何度もやることも多いです。
あるいは考えより先に、作品ができてしまうこともあるので、
自分はいったい何をやろうとしているのか考えるためにも、
必要があって、何回もやっているような場合もあります。


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5.セキネさんは最近は痛烈な暗喩を示唆するパフォーマンス作品を展開してます。
大阪万博のテーマソング(こんにちは~♪の三波春夫の曲)を歌いながら、
観客の体温測定をする作品。口から卵を産んで、ドローイングを行ったり等、
悩みがながら逡巡し、結局落として割ってしまう..という作品、など。


セキネさんのパフォーマンスはいつも入念に構成を組んでいるなと感じます。
私(広瀬)はパフォーマンスで行う内容を半分くらいイメージを考えて、
半分くらいその場の即興で行っているのですが、
セキネさんは事前に構成をカッチリ考えて作成されているのでしょうか。


(セキネ)
構成、台詞、小道具などは、結構しっかり決めることが多いです。
卵を産んで逡巡して割ってしまう作品は、一番最初に作ったパフォーマンス作品です。
ですから始めた時からそんな感じです。ですが、会場の広さや雰囲気、持ち時間の長さや、
揃えた小道具、その日の自分の課題や気分などによって、多少のアレンジは毎回必要になります。
それに、やはり構成を決めていても、失敗したり、途中で忘れてしまったり、
あるいは内容的にも多少の偶然性、即興性は含むので、常に同じようにはできません。
本番中にアイデアを思い付くこともあるし、いろいろその都度、その場で、
対応、調整している感じもあります。そういう微調整は楽しいし、
まったく同じことをやっていても自分が厭きてしまうということもありますので。


こんにちは400
コロナ渦中でのパフォーマンス。大阪万博のテーマソング
(こんにちは~こんにちは~世界の~♪の三波春夫の曲)を歌いながら、
観客の体温測定をする作品。最後に、歌う病原菌に扮したセキネは、
観客に水鉄砲でやられてしまう。


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6. 私(広瀬)は絵画制作畑出身なので、パフォーマンスだけでなく、
絵画や立体等制作もしていますが..そういう業界の中で生きてくと、
やっぱり日本の作家って上手いなと思います。
この意味での上手っていうのは、なんでしょうね、
「技巧的なモノの価値を高める」とでも言えばいいでしょうか。
これって日本の義務教育の美術にも遡ると思うんですけど、
基本的にはモノが上手く作れるかどうかってことじゃないですか。
それはまあ美術、広い意味でアートっていうことの一端ではあるとは思うんです。

自分も美大を経て、そういう処から出て来たんですが、
東京のアンダーグラウンドのパフォーマンス・アートを見た時に、鮮烈な衝撃を受けました。
パフォーマンスをやっているアーティストというのは、およそ素人くさいし、へたっぴなんですよ。
でもアートとしての説得力は、絵画や彫刻といった、モノの芸術よりも、はるかに直接的に響く。


つまり、うまいとか、下手っていうのは、あまり重要じゃない、コンセプトが大事なんだ。
これまで見て来たアートでは少々退屈を感じていたので、パフォーマンスこそ本物だと思いました。
それからパフォーマンスを通して、海外のアーティストと触れ合う機会も得ました。
日本以外の国で捉えられるアートの在り方というのは、モノっていうよりも、
もっと精神的なものを大事にしているなあと思ったんです。

日本ではあまり前に出たがらないお国柄もあるのか、
身体で直接コンセプトを表現する、パフォーマンス・アートを、
現代美術の一端として受け入れることに異和感を覚える人が多いようです。
一般の人だけでなく、ファインアートで活動している作家さん達からも
物珍しい目で見られるように思います。
身体で表現する=踊りや演劇などの舞台芸術じゃないのか、
場違いなんじゃないかっていう向きですよね。

私はパフォーマンス・アートほど未完成な芸術を、
専門の修練を必要とする踊りや舞台芸術の分野に類することは、
その筋を極めた人たち(役者やダンサー)からすればそれこそ
噴飯ものではないのかな~?と思うんです。
また、国内の、いわゆる美術はあまりにもモノや技能に偏っているように見える。
パフォーマンス・アートはこうした情勢の中でも一線を画している分野だなと、
何年か身を置いていても感じます。

(ええと、前置きが長くなってしまいましたが、)
こうしたアート・シーンの中で、セキネさんはパフォーマンス・アートが
どういうポジションになると考えますか。
また、このような情勢の中で、セキネさんがパフォーマンス・アートを
選んでいるのは何故でしょうか。



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撮影:近藤誠 photo by Makoto Kondo /NIPAF AISA 2009


(セキネ)
アートの人たちの「つくりたい」や、舞台芸術の人たちの「演じたい」も、
最初は模倣とか技術の習得からスタートしていることがほとんどだと思います。
ですので、たいていは鍛えた技やセンスや経験を生かして作品をつくっているわけですし、
技術を獲得し、完成度の高さを追求するのは、あるいは、そういう時の向上心のようなものは、
つくる人や演じる人が持つ素直な純粋な気持ちだと思います。

それに、たとえ技術に拠らない作品をつくる場合でも、技術は作品づくりの基礎になっている、
という意識であることが多いのではないかとも思います。

パフォーマンス・アートは「現代アートの一分野」だと思いますが、
あまり一般的に認識されていないこともあり、
「パフォーミング・アーツ(舞台芸術)(※6)の一分野」、
あるいは「エンターテイメントの一分野」のつもりで見に来るお客さまもいると思います。

中にはそういう意識で作品を発表している人もいると思います。
そういう意識で、あるいは、常識的な、というか、普通の感覚で、というか、
そういう目でパフォーマンス・アートを見ると、
やはり、技術を持たない人による、変わったことをやりたい人による、
何かしらの考えとかコンセプトがあればいいと思っている人による、
〈戯れ〉的なものにしか見えない場合もあると思いますし、
時には途中で怒って帰ってしまうお客さまがいるのも分かる気がします。


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キャベツと無言で囲碁(おはじき)をするというパフォーマンス
板橋サブテレニアンにて 2023


ともかくパフォーマンス・アートは、日常、目にすることは稀ですし、
マイナーな現代美術シーンの中でもマイナーな位置にあると思いますので、
世の中的には、やはり相当マイナーなポジションにあると思います。

一生、パフォーマンス・アートなど意識することなく過ごす人も多いと思います。
(とはいえ、中学生の頃に音楽雑誌か何かで見て「何だこれ?」と思った記憶のある、
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの『ベッド・イン』のように、
一般的にもかなり広く知れ渡ったような凄いものもありますが・・・)

ともかく、そんな中で私は、パフォーマンス・アート的なことを「選んだ」というより、
パフォーマンス・アートのイベントを見に行っていたら
「自分でもやってみたくなったので、やってみた」という感じでしょうか。

初めて見に行った時は「こういうことをやっている人たちもいたのか」と思いましたし、
ですので、つまり、始める前から状況(シーン)が見えていたわけでは、もちろんありません。
今でもあまり見えていません。いろいろやってみたくて、
美術に限らず、あれこれ手を出したり、取り組んでみたりもしていますが、
どれも中途半端な中で、たまたまパフォーマンスがいちばん発表の機会を持てている、
たまに面白がってくれる人がいる、なので続いている、ということかなと思います。


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7.何か今回のインタビューの感想あればどうぞ。

(セキネ)
自分で思っていることを言語化することは、とても大事なことだと思います。
いい機会をいただいたと思います。といって「言葉にするのは興醒めなんだよね」
とか「言語化できないから作品にしているんだよ」と言う人の気持ちも分かります。
私にもそんなところはあります。

ともあれ、パフォーマンス・アートに対する考え方、評価はいろいろあると思いますが、
私にとって大事なことは、見ている人の心が動いたかどうか、ということであって、
それがもし達成できれば、自分のやっていることが「アート」でも「パフォーマンス」でも、
私自身は構わないし、そこに技術が有っても無くても、言葉が有っても無くても、
それは必要に応じて、どちらでもいいことだと思っています。

でも、技術を持っている人が技術を生かして作品をつくるのは当然ですし、
そのための技術なわけですし、技術を持っている人が持たない人を肯定するというのは
難しいことだというのも分かります。

逆に言えば、自分がこれといって技術を持っていないから、アートは技術の問題ではない、
ということを肯定できるのかもしれません。
ただ通常、たぶん、現代アートにおいては(現代アートに限らないかもしれませんが)、
技術的なことは他の人に、あるいは機械などに任せることはできても、
考えることを他の人に任せたら、それはその人の作品というより他の人の作品になってしまいます。


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“雨の行方” ドローイング/セキネマーロウ


ですから、やはり自ら考えることが重要になってくると思いますし、
技術が有るなら有るなりに、無いなら無いなりに、作品の背景として、
自身の考えやコンセプト、つまり「言葉」を持ち込む必要性は生じてくると思います。

さらに言えば、技術を持たないほうが、あるいは持っていても使わないほうが、
コンセプト的なものの重要性がより増すであろう分、
必然的に、現代アート的な作品になる可能性は高くなるのかな、とも思います。

ついでに言ってしまえば、わたしの個人的な願望としては、
コンセプトにも拠らず、技術にも拠らず、体力にも拠らず、精神にも拠らず、
何と言うのか、人間の小賢しさのようなものが及ばないような、
考えるより先に体が反応してしまうような、心のざわつきが止まらなくなってしまうような、
ちょっと大袈裟かもしれませんが啓示のようなものをもたらすような何かを持った
、あるいは何も持たないような、それはやはり、個人的な、というか、
見る側の心の持ちようの問題かもしれませんが、
そんなパフォーマンスを私は見たいなあ、などと思っています(笑)。

以上、ちょっとごちゃごちゃした内容になってしまった感もありますが、
このインタビューを読んで、何かしら興味を持ってくださる方がもしいたら、嬉しい限りです。

関根麻郎/セキネマーロウ


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【あとがき】
言い訳になってしまいます。セキネさんのインタビュー回答が想像以上にボリュームがあって、
あとコロナ明けで広瀬が一気に多忙になり、(セキネさんも、すごーく丁寧な回答を作るまでに
半年くらいかかっていたのもありますが・・笑)今回の掲載までに結構かかってしまいました。
この場を借りてお詫びします。

冒頭にも書きましたが、セキネさんはどちらかというともの静かな方ですが、
存在感とか雰囲気のある印象的なアーティストです。昔からよくイベントなどでお会いするのですが、
普段言葉数は少ない方なので、今回パフォーマンスのことや履歴を聞いてみることにしました。

セキネさんはそれまでも絵や音楽、編集の仕事など様々なことを経歴していましたが、
44歳からパフォーマンス・アーティストとしてスタートしたというお話。
一般に画家さん、作家さんは小さい頃から絵を描いたり、モノを作ったりしていた..
といった話をよく聞きますが、パフォーマンス・アートは大人になってから
始められる、スタートランのハードルは高くない新しい分野なんだなと思います。
私も本格的にパフォーマンスを始めたのは、大学卒業後からでした。
歳を重ねると、よく、「始めるには遅すぎる」などと思いこんでしまったりしますが、
ほんとはある程度社会経験をして、大人にならないと新しく始められないこともありますよね。


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撮影:近藤誠 photo by Makoto Kondo /NIPAF AISA 2009


誰にとっても恩師と言う存在はいるのかもしれないです。
アーティストにとって、恩師は自分の筋道を歩むきっかけを作ってくれた、特別な存在なのですね。
インタビュー回答を読むと、セツ・モードセミナーの「セツ先生」は魅力的な先生だったように思えます。
私の中にも、学生時に美術を志した時や、パフォーマンスを初めた時に背中を押してくれた「せんせい」が
何人かいて、今でも背中を押してくれているような、心強さがあります。

文中にありました、演劇「パンの耳」のアフタートークにて、
セキネさんがパフォーマンスと演劇の違いをお話ししていました。
「演劇は観客がいないと成立しないが、パフォーマンスは観客がいなくても成立する。
例えば、”神”に対して行うパフォーマンスもありうる。」と語っていたのが印象的です。


*写真提供いただきました、写真家の近藤誠さん、映画監督の小谷忠典さん、ありがとうございました。
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(脚注)
※1 -パフォーマンス・アート(performance art)・・・

本インタビューでも記述するようにパフォーマンス・アート、略称パフォーマンスの定義は難しい。
現代美術の一つの分野とされ、演劇やダンスといった舞台芸術とは区別されている。
パフォーマンス・アートは特定のスタイルを持たないが、いくつか特徴がある。
あえておおまかな言い方をしてみる。
専門の訓練、技術を積んだ者が、演出家や監督などが設定した
舞台や台本に沿って行うのが演劇、ダンスといった舞台芸術である。
これに対しパフォーマンス・アートは作家自身が直接コンセプトを表現する。
ことさらに「演じる」のではなく、日常の自然の行為や所作に近い体の動きを鑑賞者は見ることになる。
その為、行為芸術とも称される。

また、絵画や彫刻は、作家が長い時間をかけた制作の結果を「もの」として提示する芸術であるが、
パフォーマンス・アートは、作家が行為するプロセス自体が作品であるといってもよい。
もっとアカデミックな話をすれば、その起源は1910年代のダダイズムに遡ると言われる。
ただし諸説ある。ここではパフォーマンス・アートの歴史的背景まで説明するときりが
なくなるので割愛する。もっと詳しく知りたい方は、下部に参考文献やサイトを掲載しているので
参照するとよい。

※2-犬飼美也妃・・アーティスト。パフォーマンス・アートを始め、インスタレーションなど、
国内外で精力的に活動している。滋賀県にてアーティスト集団m-fat主催。

※3-NIPAF.....日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバル実行委員会。通称ニパフ(NIPAF)。
パフォーマンス・アーティスト霜田誠二がディレクターを務め、1990年代-現在まで日本各地を初めとし、
パフォーマンス・アートの国際フェスティバルを開催。海外からパフォーマンス・アーティストを多数招聘し、
また海外ツアーも度々行う。アジアのパフォーマンス・アート運動を牽引。

※4 -セツ・モードセミナー・・戦後のファッションイラストレーターとして一生を風靡した
長沢節が創設した画塾。イラストレーターや漫画家、デザイナー等数多くの著名人を輩出。

※5-「今は静かにパフォーマンスなど」・・国分寺のライブハウスArt&Jazz M'sで
突発開催されるパフォーマンス・アートイベント。セキネマーロウ主催。
コロナ期より静かに始まり、現在も不定期開催。

※6 -パフォーミング・アーツ(performing arts)とパフォーマンス・アート(performance art)の違いについて
・・芸術分野の区別として、一般的に、演劇・ダンス等の舞台芸術を「パフォーミング・アーツ」と呼び、
現代美術の「パフォーマンス・アート」とは異なる分類をしている。

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セキネCV画像300

セキネマーロウ/関根麻郎 Maro Sekine/ Asao Sekine

1962生まれ。絵や写真をやっていたが、2007よりパフォーマンスアート的なこと。
2008より演劇(chon muop、sons wo: などの作品に出演)。
2018よりM's(国分寺)にてイベント「今は静かにパフォーマンスなど」を主催。
2022 演劇「パンの耳(セキネのパフォーマンスを映画監督の小谷忠典氏が
拡大解釈して演劇にしてくれた作品)」に出演。たまに管楽器も。

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広瀬CV画像

インタビュアー:
広瀬真咲 Masaki Hirose

2008東京造形大学絵画専攻卒。卒制でパフォーマンス・アートを行う。
卒業後、国内外のパフォーマンス・フェスティバルに出演。
2013年頃より絵画制作も再開し、生態学と称し数年おきに個展を開催。

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インタビューシリーズ過去履歴:
Ⅰ.パフォーマンス・アーティスト: 関谷泉インタビュー「日常を問い直すアイディア」
Ⅱ.即興ピアニスト:照内央晴インタビュー「“わかる”ことから漏れるもの」

*インタビューシリーズをボランティアで英訳して下さる方を募集しています。
ご興味ある方は広瀬までご連絡ください。

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【文献等紹介】
パフォーマンス・アートの良書は極めて少ない。
理由の一つに、ダンスや舞踏などと混同し紹介されている美術書籍が多く、
それがパフォーマンス・アートを理解するにあたってより分かりにくくしている所以でもある。
以下に挙げる文献やWEBサイトは、現代美術としてのパフォーマンス・アート単体を焦点に当てている
希少な資料である。

(本)
肉体のアナーキズム
1960年代日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈
黒ダライ児著 グラムブックス
・・題名通りだが、1960年代の日本の反芸術運動としての
パフォーマンスの軌跡の集大成。辞書なみの重さ、不朽の労作。

(WEB)
IPAMIA
https://ipamia.net/
・・世界各地の現代パフォーマンス・アーティストの動画や活動履歴のアーカイヴ。


パフォーマンス・アートは実践芸術。
自分の目で直接パフォーマンスを見に行ったり、
小さなことでもいいので何かやってみたりすることをお薦めする。


 

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テーマ : アート・デザイン    ジャンル : 学問・文化・芸術

即興ピアニスト:照内央晴インタビュー「“わかる”ことから漏れるもの」

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即興ピアニスト:照内央晴インタビュー
インタビュワー:広瀬真咲


照内さんとお知り合いになった時もやはり東京のアンダーグラウンドであった。
パフォーマンス・アートに取り組みはじめて、自分でもイベントの企画をやるようになった頃、
江古田のCafe FLYING TEAPOTでお客さんとしてふいに現れたのが即興ピアニストの照内央晴さんである。
その後ライブに伺ったり、何度か快く共演をさせていただいている。

今回の企画(※詳細下部参照)でも共演するパフォーマンス・アートと即興演奏(インプロヴィゼーション)。
唐突だが、パフォーマンス・アート、即興演奏というのはどんなものか?と一言で説明するのが難しい。
共通しているのは、自由で、不完全であるということだ。
シンプルに言えば、例えばクラッシック、ジャズと言えば、頭の中でどんなものか
イメージはしやすいと思う。
だが、パフォーマンス・アート、即興演奏と聞くと、なんとなく漠然としてしまうのではないだろうか。
出演者によって、やることが違うし、毎回違うことが始まる。
また、同時に、「良かったな」「悪かったな」という評価がしにくい。
なぜなら、どこまでも完成しないものだからだ。
それは見る/聴く価値があるのだろうか?
果たしてそんなアンフォルメルなものに、ずっと取り組み続けるのは何故だろう?

今回は即興ピアニスト、インプロバイザーである照内さんのインタビューで
そのあたりを少しでも明らかにできたらと思っています。
それでは照内さん、よろしくお願いいたします。
(以下太字広瀬)


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照内央晴、広瀬真咲Duo 「ルビーの落としもの 拾いもの」 2019  越生ギャラリィ&カフェ山猫軒


1.以前幼い頃からと少し伺ったことがあるのですが....
照内さんがピアノを始めたきっかけをお聞かせください。



(照内) 一人っ子で、超のつく泣き虫だった私に、幼稚園の終了時間後に希望者に、
ヤマハの音楽教室がくるというので、少しでもお友達ができたらいいだろうとの
両親の思いから勧められて、始めました。


2.即興演奏(インプロヴィゼーション)との出会いはいつ頃ですか?
またそのきっかけをお聞かせ下さい。



照内)20代の中頃、とある大人数の緩やかな形態のバンドで、
楽曲の中でかなり自由に演奏する場合が多かったので、活動としてはそれが出会いと言えるでしょう。
遡ると、幼稚園の頃のヤマハの音楽教室も、即興的な事を取り入れていたと思うし、
その頃から、自らの自由なイメージを膨らませてピアノを弾くことは好きでした。


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3.ピアノを始めてから、紆余曲折あり?即興ピアニストとしてステージに出るようになるまでの、
簡単な経緯を教えて下さい。



(照内)若き頃に、音楽の学校に行き、プロとしてピアノや作曲の活動をしたい
と願った時期が無かった訳ではありませんが、
でもその事がなにか目に見える形となるようなことはないまま
過ぎ去っていきました。人生の紆余曲折に関しては長くなり過ぎるので、全て省きます(笑)。
ピアノを弾くことは細々と続けていましたが、30代も半ばに差しかかる頃、
やはりピアノを弾きたいし、出来れば人前でそれをしたいと強く思うようになりました。
楽曲の中で多くの部分即興演奏を行う試みもしましたが、
やはりあまり細かな打合せや取り決めをせずに行う即興演奏が自身には大変向いていると感じ、
人前での演奏はそのほとんどを即興演奏で行うようになりました。


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4.即興演奏(インプロヴィゼーション)って何でしょうか?
そのジャンルの始まりから、現代にいたるまでの流れを、
ご自身のミュージシャンとしての立場を含め、
簡易に教えて下さい。



(照内)クラシック音楽の古典や、それに先行するバロック音楽でも、
即興演奏はずいぶんとなされていたようですね。
以降現代に至る中で、いろいろと分断はあるようですが。
直接的には、戦後1960〜70年代日本や世界の、フリージャズのムーブメントが、
そのエネルギー熱量も含めて影響していると、私の場合は感じます。
もっと根源的には、人が生き、辛かったりたのしかったり、
そういったときに、言葉を発したり、歌をうたったり、踊ったり、叫んだり、といった心の、
魂の衝動自体が、即興演奏の始まりなのではないかと思っています。


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照内央晴、佐久間佳子(サンバ)Duo 「PPP 重なる時空」 2017 神保町試聴室


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5.即興演奏の魅力をお聞かせ下さい。
話が少し脱線しますが、自分がパフォーマンス・アートをやっていて、
はじめて見た人から、見方がよくわからない..というような感想を聞きます。
例えば、有名なジャズシンガーのコンサートに連れられて行ったことが昔あるんですけど、
そういうものを見て、よかったな、悪かったなっていう評価はしやすいと思うんです。
ある意味それが自分なりの、そのコンサートや演奏者に対する着地点ですよね。


パフォーマンスの場合、今でもそうなんですが、
自分が他のアーティストのパフォーマンスを見て、良かったな、悪かったなっていうのは
当然あるんですけど、それ以上に「これは...良かった..のか?」
「いったい何だったんだろう」という感想を持ってしまう。
見た後に着地点がなくて、10年ぐらい前に見たパフォーマンスでも、
今でも時々思い出して、「あれは何だったのかな」と考えてしまう。
厄介なことに、自分のパフォーマンスでも、見た人がそう感じてほしいと思っている。
「よくわからないこと」が魅力だと自分は思っているからです。

ジャンルは全然ちがいますが、即興演奏を聴いた時にも共通するものが私はあると思うんです。
世の中の多くのものは、およそ形のあるもの、完成してるもの、わかりやすいものを楽しむ
ようにできています。しかし、あえて不完全で、定まった形がなく、
「わかりにくい」ものに長く取り組んでいる魅力とは何でしょうか?
また、言い方は非常にあれなのですが、世の中には、即興なんて素人が好き勝手やることでしょ、
みたいに思ってる人も、残念ながらいるんですよね。
そういった向きに対しても何か言えることがあれば....です。



(照内)既成の楽曲演奏や取り決められた枠組みのしっかりしたものの中では、
けっして表出することの出来ないような世界が顕現する可能性がある、
またその可能性に賭けることができることが、取組む側の私としてはとても魅力です。
取組む側にとっても、ほんと夢みたいな素晴らしい世界が現れることがあるんですよ!
ちょっと魔法のように思うことすらあるのですよ。なんでこんなんなっちゃったんだろう?
とか、なんでこんなことが出来ちゃったんだろうって!それって説明できないけど、
奇跡のような凄い事だと思うんですけどね。

表現や芸術、アート関連でも、なんでも言葉で説明出来て、
頭で理解できるものがもてはやされ易い気がします。
でも、それってどうなんでしょう?
それら“わかる”ことから漏れるもの、これ、なんなのかな?という、
言葉で捉えられないようなもの、その事の大切さも、
言葉や概念で多くの事が説明され理解可能になってゆくほど、痛切に感じています。
ただ、まったくわからない、というのも、人間には苦痛なところもあるので、
少しでも理解のきっかけになるようななにか、は必要なのかも知れない。

例えば、初めて広瀬さんのパフォーマンスを観て衝撃を受けて、
でも「これは画家の私の脳内なんです」的なことを伝えて下さった事で、
個人的にその後、パフォーマンス・アートにとっても親しみ易くなったという経緯があります。
私自身、即興的、あるいは、不完全な作品、それ以外のもの、完成した作品や、音楽なら
しっかりと構築された楽曲とか、物凄く憧れやリスペクトがあります。
そのハードルがじぶんの中でとても高いから、
逆にそうでないことに一生懸命取り組んでいるという面も、あるかも知れませんね。


Teruuchi-5-450.jpg
「PPP 重なる時空」 2017 神保町試聴室


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6.けっこう長く活動を続けている照内さん。
アンダーグラウンド(という言い方を私はしています。)の世界で、
音楽に限らず舞踏や芝居などでもいいので、昔と今で何か変わったことはありますか?



(照内)即興的なものに関しては、それでも以前よりずいぶんわかってもらえる、
理解してもらえることが増えてきているのかな、とも思います。
枠に嵌まりきらない即興的という心性は、
フレキシブルなこれからの時代に求められる心性なのかなと思ったりもします。
そうかと思うと、ずいぶん閉鎖的で心が閉じているのかなと感ずる時もあり…。
そのあたり、大きく揺れ動きながら全体が変化していっている、というのが実情なのでしょうか。
アンダーグラウンドという概念、在り方についても肯定的に捉えるということ、大切だと思うし、
その方が個人的に親近感も感じますね。


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「アートで田んぼ」 2016 香川


7.照内さんは、鋭角なピアノ、とよく評されるのを聞きます。
私もたくさんの人のピアノを聞いたことがあるわけではないのですが、
ほわほわっとしてマイルドっていうよりは、鋭く迫力のあるステージだなと思います。
ご自身が演奏に向かう時の意識やモチベーションがあればお聞かせください。
また、ダンサーや舞踏家と共演したり、畑でグランドピアノを弾いたり(!)など
常にチャレンジングな姿勢を崩さない照内さんですが、
ピアニストやミュージシャンの中には、一定のスタイルでずっとやっていく人もいると思います。
そうした演奏者がいるなかで、常に新しいことにトライすること、
また、多様なアーティストと共演すること、の意欲や意義を
お聞かせください。



(照内)私は、私自身もまだ知らないような可能性を求めて、即興演奏に取り組んでいます。
まだ見たことのないような世界とか、そういった事を現出させたいと希求しています。
それは、ある種の高み、といってもいい。そこには、挑戦する、臨む、挑む、というニュアンスが強くあります。
日常性の超克という面もあるかも知れません。ので例えば、道にそっと咲く小さな花に感動する、といった心性とは、
ちょっと異なるように思うのですね
(そういった心性を否定している訳ではないです。取り入れてもいきたいと思っています)。

鋭角的であるとか、迫ってくるとかいうのは、私自身の即興演奏に臨むときの基本の姿勢が、
関係しているかも知れませんね。 多様な演奏者やパフォーマー、他ジャンルや様々な場での共演というのは、
もうそれが本当に、凄い可能性を啓いてくれるのですよね!その事が心の底から面白い!そう思います。
私自身、悩み多かったり、心が苦しかったり、そういったことも長かったですが、
即興演奏もながく続けて、ずいぶん心が楽になってきた、とも感じています。
音、音楽による佳き深い共振が、自分自身、観、聴きして下さる方にとどまらず、
もっともっと広がっていってほしいと、近頃は思っています。


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「PPP 重なる時空」 2017 神保町試聴室


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+照内央晴インタビューエピローグ+


東京のその方面のライブハウスに行けば
どこでも名前を見るほど猛烈な勢いでインプロに取り組む照内さん。
イベントなどでお会いすると、これもらいものなんで...と、
いつもポッケやカバンから甘いものが出てくるなど、
近所のオバチャン気質な一面もある。

ピアニスト的な繊細さ、音楽家らしいエモーションがあり、
気さくな人柄でもある。


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+お知らせ+

インタビューをした即興ピアニスト照内央晴さん、
パフォーマンスアーティスト関谷泉さん、
インタビュアーわたくし、こと広瀬真咲が越生の一風変わった
ギャラリー「山猫軒」にて11/7(日)パフォーマンス企画を行います。
駅からタクシー15分で山の中の会場ですが、
とても素敵でゆっくり落ち着けるところです。
お帰りは少し待ってくれるのであれば、
乗合いなどでお車で駅まで送れるようにいたします。
広瀬真咲個展会場での特別開催です。

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【特別企画】

"chiral*** パフォーマンス・アート、即興ピアノ”
11/7(日)18:00-開演 2000円+1drink order /予約有り無し歓迎
performacne:広瀬真咲、関谷泉
piano:照内央晴

ギャラリィ&カフェ山猫軒(埼玉県越生町)
アクセス:東武越生線越生駅下車、駅前タクシーで約15分/駐車場数台有
https://www.yamaneko.info/


東京アンダーグラウンドで突き刺さるような
圧倒的ステージを見せる照内央晴、関谷泉と
オルタナティブアートシーンで独自の作品発表を続ける、
広瀬真咲のソロパフォーマンスを含めた共演企画。

少しお早目に来てゆっくりとした空気の中で
時を過ごされるのをお薦めします。
周囲の自然や史跡散策もぜひお楽しみください。
*マスク等感染対策をしてお越し下さい。

問い合わせ先:
ギャラリィ&カフェ山猫軒
〒350-0425 埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷137-5
mail@yamaneko.info
049-292-3981
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照内 央晴 Hisaharu Teruuchi
即興ピアニスト=即興演奏にほぼ特化したライブ活動をしています。
自由な世界を求めて辿り着いたのが、実は自身の原点に舞い戻ってきただけの事と、
気付いたような気もします。他ジャンルの方との共演は、身心が啓かれ豊かになります!
1972年、東京生。


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インタビュアー:
広瀬真咲 Masaki Hirose

2008東京造形大学絵画専攻卒。卒制でパフォーマンス・アートを行う。
卒業後、国内外のパフォーマンス・フェスティバルに出演。
2013年頃より絵画制作も再開し、生態学と称し数年おきに個展を開催。




(照内回答以外の)文章: 広瀬真咲 2021 


テーマ : 音楽的ひとりごと    ジャンル : 音楽

パフォーマンス・アーティスト: 関谷泉インタビュー「日常を問い直すアイディア」

IMG_2590.jpg


パフォーマンス・アーティスト: 関谷泉インタビュー
インタビュワー:広瀬真咲


気が付けば、自分がパフォーマンス・アート(*1)を取り組むように
なってから10年程となった。

関谷さんとの出会いは、今はなき明大前のキッドアイラックアートホール。
とあるイベントで、自分は客席にいた。出演順の最後の方にバタバタっと、
仕事から直行で来た風の、スーツ姿の女性が現れた。
その女性が、観客席にばっと黒い薄布を被せ、詩か呪文のようなことを唱えながら練り歩き、
客にチェリーをくわえさせる。
それまでの張りつめた会場の緊張感を一変させる、破壊力のある作品。
それがパフォーマンス・アーティスト関谷泉であり、
彼女との最初の出会いであった。

長年東京のアンダーグラウンドで活動を続けている彼女だが、
これまでに過去のエピソードや、パフォーマンスに対する思いを伺う機会もなかったので、
不躾ながら、今回質問形式でインタビューを試みることにした。
(以下太字広瀬の質問)


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NIPAF 2008年頃 高田馬場プロトシアター


1.関谷さんがパフォーマンスをはじめたのはいつ頃ですか?
また、そのきっかけをお聞かせください。
その後、現在に至るまでのパフォーマンス履歴を簡単に
教えてもらえませんか。外でやるパフォーマンス企画の話も含めて伺いたいです。



(関谷)
初めてソロパフォーマンスをしたのは、2006年の霜田誠二さん主催の「ニパフ(*2) の現在」。
その頃プライベートな体験のショックから、それまで行っていた言葉での表現ができなくなっていた。
街をほっつき歩いて事物を眺めている時間だけが唯一の安らぎ。
ビルの作る影絵や信号待ちしてる人のポーズ、木の枝の傾き方が面白く、
風景が温かく自分を迎え入れてくれるようにも感じた。
この視覚的感覚を形にしたいと絵画を習おうと、ネットで検索して気に入った先生の教室を訪ねると、
先生は私の安易な入会動機と美術体験の無さに呆れ、入会を断った。

その後、キッドアイラックアートホールで行われていた「ニパフの現在」を見に行きちょっとびっくり。
乾電池や懐中電灯、一枚の紙、あるいは自分のズボンという日常のオブジェと自分の身体だけで
舞台で詩を紡いでいる、いや絵を描いているというか。
次回、出演したい人いる?という霜田さんの問いに手を挙げ、パフォーマンス人生スタート。

人前でパフォーマンスしてみると、自分の思い込み、
計画がすべて吹っ飛ばされ、空っぽになった体が掴むもの、思わぬ発見、
パフォーマンス終了後も「次」が続いているような感覚が面白かった。

街の風景のなかで、参加者を募ってパフォーマンスしたいと思い、
2009年頃、路上アート研究会を名乗って活動開始。大きな風景のなかで自分を放ちたい、
そして同じ街の中でも他の参加者がどの場所をどう使ってどう感じて
パフォーマンスするか見たかったから。「アスファルトに大根」「絶景かな絶景かな」など、
東京の郊外から街中までいろいろな場所で実施。
昨年は広瀬さんにもご参加いただいた「触る」を百草園駅周辺で行った。
コロナ禍の下、多様な「触る」行為が出現。


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2.パフォーマンスをはじめる以前には、アーティストとしてどういった活動をしていましたか?


(関谷)アーティストとして意識的な活動はしていなかった。
初体験のシングルマザー生活のなかで感じる悲鳴のようなものをエッセイや詩にして、
「ぞくおはなししましょ」というミニコミを発行、知人たちに送り付けていた。
その中でメールアート(*3)みたいなことを何度か企画した。
「夢見会」は参加者に見た夢について絵でも言葉でも完全版下ハガキで
送ってもらったのを集めて冊子にした。
同じ方法で「早春花見会」、「真冬のお茶会」も行い、冊子にした。
アート意識はなく、子育てと仕事で忙しく人とあまり会えなかったので、
ハガキを通じて人と会い、それを形にして、参加者にフィードバックしたかった。
80年代に霜田誠二さんが行ったBook media performanceに参加した体験が
根っこにあったのだとは思う。


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poetry actionⅡ 2014 江古田CafeFLYING Teapot(冒頭写真も同じく)



3.関谷さんが、自覚的に何らかの創作を始めたのはいつ頃からですか?
この場合の作品とは、パフォーマンスに限らず、詩や芝居等の話でもいいです。


(関谷)アートとして自覚的に創作したことはまだないかもしれない。
ミニコミ作って詩やエッセイを書いてたのは、シングルマザーの悲鳴をとにかく外へ吐き出し、
誰かに聞いてもらわないと、生きていくのがきつかったから。
その時は自分自身のことを弱者、被害者みたいに思って書いている部分が大きかった。
「こんな母親のもとではとても生きていけない」と娘が家を出て父親の元へ駆け込んだ時、
自分は娘に対し強者で加害者だったんだと気づいた。
それまでの価値観が粉砕され、言葉がまったく出てこなくなった。
精神不安定になり、攻撃的うつ症状を呈したり、
ストーカーみたいになって他人に夜通し電話しまくったりもした。

2007年にパフォーマンスを始めたことで
「母親失格・友人失格・労働者失格」の自分を少し客観的にとらえられるようになった気がする。
またパフォーマンスを介して世界が広がった。いまだ創作にはたどり着けないが、
好奇心むき出しでせっせと遊んでいるという感じ。



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Izumi-Sekiya-夜散歩 隅田川
夜のお散歩 2012 隅田川 


4.パフォーマンス・アートって何ですか?
というのをヒトによく聞かれるんです。
これがまあ、説明するのに難しい質問なんですよね。

一般的には行為芸術と呼ばれているらしいです。
何らかの行為をして、オレはこれがパフォーマンスだと思う、と言ったらもうそれが作品になる。
かたいことを言えば、現代美術の一分野としてパフォーマンス・アートがある。
少なくとも私(広瀬)はそう意識してやっている。
でもある人に、美術っていうよりも、音楽に近い気がすると言われたことがある。
確かにそうかもな~と思った。
アーティストによっては、パフォーマンスは詩の直接表現だと言う人もいる。

例えば、ラケット持ってボールを打ったらテニスです、みたいな形容詞がない。
とくにこういうスタイルがあるっていうものでもないし、自由ですよね。
でもダンスや芝居の一種か?って問われたらはっきり違うでしょう。

もやもや説明するより、パフォーマンスを実際見てもらえたらああそういうことかなって
なんとなくわかってもらえると思うんです。
見てもらうのが一番なんですよ。
そうしてもらえたらとても、わかりやすくていいんです。

何が言いたいかというと、
初めて見る人にパフォーマンス・アートってどうやって説明したらいいですかね?
パフォーマンス・アートって何ですか?




(関谷)パフォーマンスアートとは、日常を問い直すアイディア、発想によって、
自分の身体を晒したうえで行う行為だと捉えている。

私にとっては日常のはざまに落ちる悲鳴やため息、オナラのようなものを表す手段。
一日3時間、10年間一生懸命訓練したら上達するものではない。
その代わり、24時間感覚を鋭敏にし、
あるいは日常を疑うことを怠らず過ごしている人たちが多い気がする。
努力や訓練の結果が報われるものではないので、誰でもチャレンジできるが、
ある意味もっとも困難なアートの一つかもしれない。

集団で全体的な絵を決めて行ったり、
ひとりのアイディアを複数の演者で行うパフォーマンスもあるが、
個人的にはソロ、あるいは自立した表現者同士のコラボレーションが見る上でも行う上でも好みである。
自分の書いた言葉を演出なしに自分の肉声で観客の前で読む、
詩の朗読も私にとってはパフォーマンスに近いものがある。

稽古しないこと、身体訓練しないこと、演出家がいないこと、オリジナルであること。
そして自分として最近拘っているのは、なるべく小さなこと、馬鹿馬鹿しいこと、
立派じゃないことをテーマにパフォーマンスしたいと思っている。



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IzumiSekiya-夜散歩新木場
夜のお散歩 2012 新木場


5.関谷さんのパフォーマンスでは、いつも女性をテーマに感じるんです。
女性アーティストとして活動することはどうでしょうか。
このインタビュー見ている方へ補足すると、関谷さんの娘さんは広瀬と
同じ年齢とのこと以前伺いました(笑)
今と昔で社会的に変わったことや、関谷さん自身のコンセプトで変化したこと、
女性アーティストが活動する上で感じることなどあれば教えて下さい。



(関谷)母(自分)と娘、自分(娘)老いた母親、女友達との関係性は、私の大事なテーマである。
法制度や社会通念によって、女は幾重にも分断され、繋がって生きるのが困難なことも多い。
「母」は被害者であり、加害者である。そこら辺の葛藤をパフォーマンスでも造形作品でも表現してきた。

コンセプトは変化していないが、昔はパフォーマンスする時に、
いっぱい作り物をして行うことが多かった。
最近はコップ1杯の水とか、使うオブジェがシンプルになってきた。
収入が減って工作費が出せなくなったのと、環境問題にいささか関心が向いたせいである。
一滴の水の命とか、一枚の紙の命とかをうっすら感じてパフォーマンスに使っている。
企業社会ではセクハラや年取ってからはエイジハラスメントに悩まされることも多かったが、
パフォーマンスしていて、性や年齢で差別を受けたと感じたことはない。
若い人とも、パフォーマンスを通して垣根なく交流できるから楽しい。



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6.芸術というものを幅広くとらえたとして、
日本では、一般的にタブロー、つまり絵や彫刻といったモノとしてのファインアートが
美術だと思われがちです。また、芝居やダンスといったフォーマットとして確立されて
いる舞台芸術が受け入れられやすい。
そういったアート・シーンの中で、パフォーマンス・アートとはどういうポジションになると
思いますか?
また、そのような情勢の中で、関谷さんがパフォーマンス・アートを選んでいるのは何故でしょうか?



(関谷)パフォーマンスの中に含まれる偶然性、一過性が、嘘でない真実を見せる部分が好き。
頭で計画して、あることを訴えるようなパフォーマンスを企図しても、
本番ではうまく行かず、思いがけない展開になる。そこが面白い。
また小さなこと、地味なこと、社会一般にとっては一見重要でないことも行える自由度も魅力がある。
パフォーマンスアートは自分の性(さが)であると言う人もいると思うが、私は違う。
詩もそうだったが、言葉が浮かばなくなれば書けないし、
パフォーマンスとしてやりたいことがなくなったら休む、あるいはやめるつもりである。



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poetry action 2012 江古田cafeFLYINGTEAPOT



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+関谷泉インタビューエピローグ(広瀬より)+

冒頭でも述べたが、
関谷泉のパフォーマンスには、いつも日常の鋭さ、温かさを感じる。
初めて出会う人は、炸裂する関谷ワールドに圧倒されるが、
普段の「関谷さん」は、真冬の夜のお散歩企画で参加したアーティストに、
ホッカイロを配るなど、おかあさんである。
そして、自分が良かったと思う作品は、素直に褒めまくる。
止めなければ永遠に褒めまくっているのではないかと思う。
「褒め殺しの関谷」とあだ名されるほどである。

日常の鏡には、前触れもなく鋭く迫ってくる場面と、いつまでも温かなひだまりの
中にいるような時間が映し出される。

関谷泉とはそんな人柄である。


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+お知らせ+

インタビューをした関谷泉さん、即興ピアニスト照内央晴さんと
インタビュアーわたくし、こと広瀬真咲が越生の一風変わった
ギャラリー「山猫軒」にて11/7(日)パフォーマンス企画を行います。
駅からタクシー15分で行かねばならない山の中の会場ですが、
お帰りは少し待ってくれるのであれば、
乗合いなどでお車で駅まで送れるようにいたします。
広瀬真咲個展会場での特別開催です。

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【特別企画】

"chiral*** パフォーマンス・アート、即興ピアノ”
11/7(日)18:00-開演 2000円+1drink order /予約有り無し歓迎
performacne:広瀬真咲、関谷泉
piano:照内央晴

ギャラリィ&カフェ山猫軒(埼玉県越生町)
アクセス:東武越生線越生駅下車、駅前タクシーで約15分/駐車場数台有
https://www.yamaneko.info/

東京アンダーグラウンドで突き刺さるような
圧倒的ステージを見せる照内央晴、関谷泉と
オルタナティブアートシーンで独自の作品発表を続ける、
広瀬真咲のソロパフォーマンスを含めた共演企画。

少しお早目に来てゆっくりとした空気の中で
時を過ごされるのをお薦めします。
周囲の自然や史跡散策もぜひお楽しみください。
*マスク等感染対策をしてお越し下さい。

問い合わせ先:
ギャラリィ&カフェ山猫軒
〒350-0425 埼玉県入間郡越生町龍ヶ谷137-5
mail@yamaneko.info
049-292-3981
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遠くを見る。近くを聴く会 2016 杉並区の三井公園

関谷泉 Izumi Sekiya
霜田誠二主宰のニパフを見てパフォーマンス開始。女偏の解放。母親失格労働者失格。などのパフォーマンス。路上アート研究会をぼちぼち開催。「アスファルトに大根」「触る」などを参加者を募り、公園や駅周辺で行う。言葉のフィクションと身体のリアルの交差する遊びを探している。




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インタビュアー:
広瀬真咲 Masaki Hirose

2008東京造形大学絵画専攻卒。卒制でパフォーマンス・アートを行う。
卒業後、国内外のパフォーマンス・フェスティバルに出演。
2013年頃より絵画制作も再開し、生態学と称し数年おきに個展を開催。

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注釈)
(*1)パフォーマンス・アート(performance art)...

本インタビューでも記述するようにパフォーマンス・アート、略称パフォーマンスの定義は難しい。
現代美術の一つの分野とされ、演劇やダンスといった舞台芸術とは区別されている。
パフォーマンス・アートは特定のスタイルを持たないが、いくつか特徴がある。
あえておおまかな言い方をしてみる。
専門の訓練、技術を積んだ者が、演出家や監督などが設定した
舞台や台本に沿って行うのが演劇、ダンスといった舞台芸術である。
これに対しパフォーマンス・アートは作家自身が直接コンセプトを表現する。
ことさらに「演じる」のではなく、日常の自然の行為や所作に近い体の動きを鑑賞者は見ることになる。
その為、行為芸術とも称される。

また、絵画や彫刻は、作家が長い時間をかけた制作の結果を「もの」として提示する芸術であるが、
パフォーマンス・アートは、作家が行為するプロセス自体が作品であるといってもよい。
もっとアカデミックな話をすれば、その起源は1910年代のダダイズムに遡ると言われる。
ただし諸説ある。ここではパフォーマンス・アートの歴史的背景まで説明するときりが
なくなるので割愛する。

(*2)ニパフ.....日本国際パフォーマンス・アート・フェスティバル実行委員会。通称ニパフ(NIPAF)。
パフォーマンス・アーティスト霜田誠二がディレクターを務め、1990年代-現代まで日本各地を初めとし、
パフォーマンス・アートの国際フェスティバルを開催。海外からパフォーマンス・アーティストを多数招聘し、
また海外ツアーも度々行う。アジアのパフォーマンス・アート運動を牽引する存在。

(*3)メールアート....郵便物をアート作品として送るもの。
1960年代の芸術運動であるネオダダ、フルクサスにその源流がある。
日本では現代美術家の嶋本昭三の活動が代表的。


=============================

【文献等紹介】
パフォーマンス・アートの良書は極めて少ない。
理由の一つに、ダンスや舞踏などと混同し紹介されている美術書籍が多く、
それがパフォーマンス・アートを理解するにあたってより分かりにくくしている所以でもある。
以下に挙げる文献やWEBサイトは、現代美術としてのパフォーマンス・アート単体を焦点に当てている
希少な資料である。

(本)
肉体のアナーキズム
1960年代日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈
黒ダライ児著 グラムブックス
・・題名通りだが、1960年代の日本の反芸術運動としての
パフォーマンスの軌跡の集大成。辞書なみの重さ、不朽の労作。


(WEB)
IPAMIA
https://ipamia.net/
・・世界各地の現代パフォーマンス・アーティストの動画や活動履歴のアーカイヴ。


パフォーマンス・アートは実践芸術。
自分の目で直接パフォーマンスを見に行ったり、
小さなことでもいいので何かやってみたりすることをお薦めする。



(関谷回答以外の)文章: 広瀬真咲 2021 

テーマ : アート・デザイン    ジャンル : 学問・文化・芸術


プロフィール

広瀬真咲 Masaki Hirose

Author:広瀬真咲 Masaki Hirose
パフォーマンス・アート、絵画、
インスタレーション

【問い合わせ先】
shin3kibou-bgm★yahoo.co.jp 
(★を@に変えてください。)

◆作品の展示、パフォーマンス出演の依頼はメールにてご相談下さい。

Masaki Hirose
Art works: Performance art & painting

[contact/ Masaki Hirose]
shin3kibou-live★yahoo.co.jp
(Please change ★ to @)

Please art works offer to e-mail.

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