- Date: Thu 22 07 ,2010
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7月13、14日キッドアイラック感想
7月13、14日キッドアイ感想
1日目はこのままの方向で行くとこの先一歩も進めなくなってしまう、こりゃいかん、と思って、2日目。
最近「いびつな体」というのが気になっていた。
そのことで思い出したのが、コム・デ・ギャルソンの川久保玲だ。コム・デ・ギャルソンの川久保玲は、全身黒のファッションショーを行い、ヨーロッパのファッション界を破壊したのだった。
当然、「喪服の葬列のようだ」と大変なバッシングを受けた。当時、ファッション界の服といえば、着やすく売れるようなドレスが主流であり、黒い服は葬式の時にしか着ないのが普通だった。だが、そこで歴史の流れが変わった。
「きれいでした、美しかったでした、良かったでした、という感想をもらったら、私はとても不安でショックだ。私はそんなに分かりやすくて単純なものを作ってしまったのかな、と思う。」
私はこの川久保玲の言葉が、ずっとどこか心にひっかかっていた。
もう一つ、川久保には「コブつきドレス」というのがある。人間はそれほど、きれいな形をしているだろうか。もっといびつではないだろうか。人は年をとれば、段々背骨も曲がってきて、こぶになったりもする。だがそれは、生命あるものの姿である。ファッションブランドは、身体の整ったモデルや、所作の美しいダンサーを使って、新しい夢の提案をするけども、果たしてその服を買う人達が、そんなに整頓された体つきをしているとは、到底思えない。
色が美しいものを使ったり、声を響かせようと思えば、色がきれいだとか、声が響くとか、と言われるのは普通の感想だ。直進しすぎていつの間にか袋小路に陥っていた。
このとき、どこかで、やはり川久保玲はタダモノではないなと思った。
2日目、私は、むしろ批判を浴びるもの、いびつなもの、すごくダメすぎるものをやってみようと思った。
きれいなもの、美しいものは、今の世の中には沢山売っているし、作っている人もいるので、買えばいいのだとおもう。口当たりの良いもの、期待通りの楽しいものを見たいのなら、もっと高い鑑賞料を支払えば、どこでも沢山見られる。
だが私は、ニパフに参加するアーティストは明らかにそういうのとは違ったことを行おうとしているのに、見に来る人達が、既成の価値観でしか測れなくて、ありえへん!と言って怒って帰って行ってしまうことがあるのを、残念に思うのは、私のエゴだろうか。
アートとは難しい生き方のようだ。これがいいと思って突き詰めなければいけないときもあれば、それを全く裏返さなければならないときもある。あるいは、おもってもみない方向から何かをやってみなければいけないことがある。シンプルにやったほうが良いときもあれば、ゴチャゴチャに暴れまわらなければならないときがある。なにが正しいのかは良く分からない。ただ、まだ名前のついていない新しいものを、何と呼べばよいのかが分からないものを、やってみたいと思う。
maja